「このままだと、また我々はネット上に産業廃棄物をばら撒いてしまいますね笑」

そう笑いながら、打ち合わせしてる。制作している企画の詰め作業をプロダクションさんと一緒にやっているときのことだ。この言葉の半分はもちろん冗談だけど、残りの半分はホントにそう思っている。

「世の中に出るものをつくってる以上、つくるひとは、そのひとなりの社会正義みたいなものを持っておいたほうがいいんじゃないか?」ま、当たり前といえば当たり前なんだけど。

 

Fuck That

「つくったものに対する責任」を考えるときに、落書きアーティストBanksyの言葉は心臓を貫くぐらいの迫力がある。これはもともと、「Cut It Out」というペーパーバックに載っていた言葉を、グラフィックデザイナーのKarina Nurdinovaが意図を汲んでデザインにしたものだ。

Banksy – Fuck That

fuck-that-banksy

People are taking the piss out of you everyday. They butt into your life, take a cheap shot at you and then disappear. They leer at you from tall buildings and make you feel small. They make flippant comments from buses that imply you’re not sexy enough and that all the fun is happening somewhere else. They are on TV making your girlfriend feel inadequate. They have access to the most sophisticated technology the world has ever seen and they bully you with it.

They are The Advertisers and they are laughing at you. You, however, are forbidden to touch them. Trademarks, intellectual property rights and copyright law mean advertisers can say what they like wherever they like with total impunity.

FUCK THAT.

Any advert in a public space that gives you no choice whether you see it or not is yours. It’s yours to take, re-arrange and re-use. You can do whatever you like with it. Asking for permission is like asking to keep a rock someone just threw at your head. You owe the companies nothing. Less than nothing, you especially don’t owe then any courtesy.

They owe you. They have re-arranged the world to put themselves in front of you. They never asked for your permission, don’t even start asking for theirs.

キミは毎日バカにされてる。あいつらは、キミの弱みにつけこんではひとの生活に首を突っ込み、そして消えていく。高層ビルの上からキミを見下ろしてあざ笑い、だからキミは自分が小さな存在だと思うようになる。「お前には魅力がない。全ての楽しい出来事はお前のいないところで起こっている」と、ぶしつけなメッセージをつくってる。TVに現れては、キミの彼女を無力な気分にさせるんだ。あいつらは、この世界がいままで見たこともなかった、洗練されたテクノロジーを駆使できるし、そしてそれを使ってキミをいじめてる。

あいつらっていうのは、キミのことをあざ笑いがら広告を作るやつらのことだ。でも、キミはあいつらに触ることすらできない。商標、知的財産、著作権保護法。これらは広告を送り続けるやつらが、どこで何を言っても構わないってことを意味してるんだ。

ふざけんな。

公共の場にあるような、有無を言わせずに視界に入ってくる広告。あれはキミのものだ。キミのものだから、持って行ってもいいし、アレンジしてもいいし、再利用したっていい。あんなものは、キミの思うままに使ってしまって構わない。その許可を求めるなんて、頭に投げつけられた石に対して同じことを言ってるようなもんだ。キミはあんな会社たちに、何の借りもない。借りなんてゼロ以下だし、あいつらに行儀よく接する必要なんてない。

あいつらはキミに借りがあるんだ。いつもキミより自分たちが優遇するように、この世界を作り変えたのはあいつらだ。あいつらが僕らに許可を求めたことがあったか?だから、あいつらに許可を求めるなんて絶対にするな。

そして驚くべきことに、これは真実だ。

最新の自動車に乗らないと現代人は自由を感じることはできないし、清涼飲料水を飲まないと青春真っ只中の高校生は恋愛すらできない。毎晩丁寧に髪をトリートメントしないとイケメンには注目してもらえないだろうし、20年前のドレスが着れないのは、きっと最新の成分が配合されたサプリメントを毎日飲んでないからなんだ。

広告の天才がつくったロジックは、悲しいかな人間を否定するものばかりだ。必ずしもそうじゃないかもしれないけど、でも世の中の広告なんて、ほとんど似たようなもんだ。そしてBanksyの「Fuck That」は、広告に対して言っているだけなんだけど、それって実は広告だけの話じゃないんじゃないかな、とも思う。

 

The Web We Have to Save

Hossein Derakhshanというひとは、ネット上では「Hoder(盲目の神)」として知られたイラン人ブロガーだ。イランでは「ブロガーの父」として知られていた彼は、2008年に「ブログ上で政治的発言を展開した」罪でイラン当局から逮捕された後、2014年に恩赦を受けて釈放された。

Hossein Derakhshan

釈放されたDerakhshanは進化したインターネットを目の当たりにして、「The Web We Have to Save (僕らが守るべきウェブ )」という記事をガーディアン誌に掲載した。その考察がとても面白かったので引用しよう。

若いセレブ達に支配された現実世界を反映した”目新しさ”と”人気”…それは現代において最も支配的、そして最も過大評価されている2大バリューで、その哲学がその2つをつなぎ合わせたのだ。その哲学を僕らはStreamと呼ぶ。

Streamは今や人々がウェブから情報を受け取る術を支配している。数少ないユーザーしか専門のウェブページの情報を直接チェックしていないのだ。その代わり人々は複雑で(そしてシークレットな)アルゴリズムによってピックアップされた、終わりのない情報の流れを食べさせられているのだ。

The Web We Have to Save

Streamとはつまり君がもうたくさんのウェブページを開く必要がないという意味だ。ブラウザのタブもいらない。というかブラウザすら必要ない。スマートフォンのTwitterかFacebookアプリを開いたらあとはスワイプしていくだけでいい。そうすれば情報の山のほうから君に向かって来てくれるのだ。アルゴリズムがすべてをピックアップしてくれる。君や君の友達が以前に何を読んだかによって、アルゴリズムが君の読みたいものを予測してくれる。面白い情報を見つけるためにたくさんのウェブサイトを回って時間を無駄にすることもないから、最高だ。

この記事でDerakhshan氏は「ハイパーリンクによる多様性がウェブの力強さだったはず。でも、いつしかFacebookやInstagramのような楽しくて巨大なウェブサービスが登場したおかげで、僕らは利便性と引き換えに自由を失ってしまったのではないか」と説いている。その原因が「Stream」という概念だ。

「Stream」という思想はとても便利だ。アプリを開けば僕ら個人個人に最適化された情報を、絶やさず流し続ける。Facebookには友達や家族の近況が流れ続けるし、Instagramを開けば友達がこの連休はどこの旅行先で羽を伸ばしているかだって分かる。スマートフォンをスクロールし続ければ、「Stream」は延々と流れ続けるだろう。この状況を評して、Derakhshan氏は「これはウェブの未来じゃない。これはテレビの未来じゃないか」と結論付ける。

自由であること、それがウェブの最大の魅力だった。それに比べてソーシャルメディアが果たした役割とは何だったんだろう。結局僕らは、心のどこかで「盲目的に、流れる情報を見続けたいメディア」を求めていたのかもしれない。でも、その先にある人間らしさって何だろう。「あなたにぴったりの情報です」と提示されたものを、唯々諾々と(しかも気付かずに)受け取り続ける人生に、意味なんてあるんだろうか。

 

それは原罪か?

良かれと思ったことが、結果としてそうはならなかったということは、よくある。

だから僕らは、伝える相手に良かれと思って、どんどん利己的なメッセージを送ってないだろうか?送ることができるようなシステムに加担してないだろうか?絶えず考える必要があると、僕は思う。

それは例えばキリスト教でいう原罪のように、広告をつくるひとの逃れられない罪みたいなものかもしれない。

 

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