元旦は1月1日に日が昇る様子の漢字。つまり元日の朝のことを指しているらしい。

そういうと良く出来た漢字だなあと思った正月、特に俺の身内は面白いぜ的なネタもなく、普通に帰省してお墓参りして実家に帰りました。

 

hebi

 

あけましておめでとうございます。というわけで今年は巳年。

白いヘビは幸運のモチーフだけど、旧約聖書ではアダムとイブをたぶらかす邪悪な存在でもある。錬金術の伝説では、ウロボロスのヘビといって、頭と尾がつながったヘビは、死と再生を意味するシンボルらしい。祀られたり、嫌われたり忙しそうですね。自分のイメージをいろんなところで売りまくるという意味では、彼は優秀なビジネスマンなのかもしれません。

縁起のいい夢は見たいのだけれども、商戦が12年に1度しかないヘビは景気変動のジュグラー循環のようで、その人気が必然的な規則にもとづいていて、複雑怪奇な現代社会に生きる僕にはあまり参考にならなさそうだな、みたいなことを感じつつ、長い時間をかけて自分の血肉になるようなことを考えていきたい2013年です。

 

大学の頃は社会科学の研究職に就きたかった。何の因果かプランナーやってるんですが。

年末に部屋の本棚を整理していて、学生の頃に使っていたノートをペラペラめくってると、図書館で毎日写経してたコピー年鑑のメモを見つけた。1983年のPARCOの正月広告だと思う。書いたのは(たぶん)糸井重里だ。

 

明けまして、こんばんわ。

二十世紀も、とっぷり暮れてまいりました。

あと十八年で、二十一世紀です。たった十八年で、

今世紀がおしまいになります。驚くやら、

こわいやら、うれしいやらで、結局なんだか

胸騒ぎです。こういう、どきどきする時代って、

そうざらにあるものではないです。実に、

願ってもない同時代を

生きている皆さん、

アーユーオーライ?

世紀の夜に生きる準備はできてますか。

からだは丈夫ですか、こころはタフですか、

あたまは元気ですか。一九八三年、

あらためてこんばんわ。こちら、パルコです。

PARCO

(PARCO, 1983)

 

広告業界では「糸井重里が好きです」といま口に出すひとはあまりいない。インターネット全盛の時代に、コピー1本で広告が成り立たないというのものあるけど、個人的にはだからこそ「ほぼ日」をやったりしてるこのオッサンの多才さが好きだったりもする。

 

人はものを知ると、とかく誰かに押し付けがましく、ときに説教臭くなるもので、自分はそうはなりたくはないもんだなあと思うんですが、たまに、自分が傲慢になってないか心配になる。

もしかしたら糸井重里みたいなひとは、そういう一切合切のリセットボタンを内蔵してるのかもしれない。僕みたいにボタンをもっていないひとのために、元旦があるのかもしれないですね。

 

つらつら、そんなことを考えながら大学の頃のテキストを眺めていて、久しぶりにレヴィ=ストロースが読みたくなった。卒業が2009年だからもうすぐで8年ぐらい前に読んだ文化人類学のテキストだ。レヴィ=ストロースは「悲しき熱帯」のほうが有名なんだけど、社会を読み解くチカラをつけた文献として、僕は神話倫理シリーズのほうが好きだな。

 

古今東西、どんな社会でも近親婚はタブーとされている。これはなぜなのか。生物学的な淘汰圧が加わるためなのか、それともなんらかの社会的慣習が固定化したものなのか。実はどちらでもなく、ある原理から説明できるのだ、というのがこの本(「親族の基本構造」)の主旨。その説明の中で数学の力を借りているのもレヴィ=ストロースの特徴のようだ。

次の本は「野生の思考」と「今日のトーテミズム」。トーテミズムとは、氏族などの人間集団が特定の動植物と特別な結びつきを持ち、その動植物の名前を集団の名前としているような信仰や制度のことだそうだ。黒鷲族だのサボテン族だのといった感じのもの。レヴィ=ストロースは、このトーテミズムの考え方を、西欧の学者が未開の人々を“未開”の文化だとレッテルを貼るために作り出した幻想だと一蹴している。その上で、このような考え方は西欧だろうとどこだろうと普遍的に人々の中にあるものなのだと明かしてみせた。 (「レヴィ=ストロース入門」:ぶんじんのおはなし

 

 

 

 

 

その分析が、神話倫理体系につながっていく。このダイナミックな流れが面白いのだ。

 

 

 

 

 

 

今度、図書館カードをつくって借りてみようと思う。

小難しい話は避けてさくっと読みたい方にはこちらがオススメ。

 

 

2012年は、たくさん仕事して、いくつかの仕事をもらって、

たくさん嬉しいことがあって、たくさん後悔もした。

 

まいとし年末年始になるとmixiに昔書いた日記を読んでみたりして、初心に返ろうとしてる自分が情けなくもあるのだけれど。2008年1月の日記。

 

新しい年は、昼食で明けた。

別段年が明けたからといって、食べたいものが特にあるわけでもないし、やりたいことがあるわけでもないので、いつもどおりパンとコーヒーにヨーグルトを食べて、やらないといけないことはやった。

一年は年始にありとか、終わり良ければ全て良しとか、一日いちにちを大切にしましょうとか人は言うけれど、未だに日々をどう過ごしていいのか分からないものだなあと思う。

新しい世紀は新しい人たちのためにあるのだそうだ。新しい人たちって誰のことだろうと思う。新しい年は、いつも新しくないような気もする。毎年が今年な気がしないでもない。新しい年には新しいことをしたらいいと言ってくれる人もいます。去年新しかったことは、今年は新しくないのだろうかとも思う。近所の喫茶店は、今年に入ってからもう三回くらいコーヒーを飲みに行ったのだけど、ヘッドホンをしてパソコンでDVDを観ているおっさんが新しく常連になったみたいだ。隣に座っていたお兄さんは、新しい美容院をつくるんだそうだ。新しい価値観だなあと思う。でも新しいって、新しいってことですか?僕は、日曜日に筆ペンを買いました。今年も新しい組み合わせを考えて暮らしています。

あけましておめでとう。僕は今年で、22になります。

 

聞くところによると、ぼくは今年27歳になるそうである。

 

文章を書ききるチカラが衰えてる気もする、そんな正月つらつら、