猥雑で乱暴だけど、チャーミングなサイトが昔あった。
その名も「SuperHeadz INa Babylon」だ。
「SuperHeadz INa Babylon」はカメラ屋さんの運営しているウェブサイト。デザインなんて、高校生のつくった文化祭のチラシみたい。だけど、すごくいい。すごく好き。
このサイトを知ったのは大学生の頃で、たぶん初めて「自分のカメラ」を買ったときだった。初めてのカメラはおもちゃだった。
文字通りのおもちゃのカメラ。後にトイカメラとか呼ばれるようになるアレです。
当時一眼レフのデジタルカメラをみんな持ち始めてて、でもお金なくて試しに買ったのがHOLGAだった(下の写真左のカメラ)。
ブローニーフィルムっていう35mmよりも大きなフィルムを使うカメラで、真四角でいたずらっぽい写りがとても気に入って、よく持ち歩いて友だちを撮っていました。イッチョマエにアートなんか目指していた頃が懐かししい。「写真撮るの上手いね」とか言われて調子に乗っていた時期が、ええそうとも、僕にもありました。
カメラは撮るのも好きだったけど、銀塩フィルムが好きだったのだと今になって思う。シャッターを切っても、現像してからプリントまでやるのは大抵1本のフィルムで数枚。大事にシャッターを切るあの感じが、好きだ。
撮り終えたフィルムを当時住んでいた近所の現像屋さんに持っていって、お店のおばちゃんに「これとこれと、これだけプリントしてください」といつも頼んでいたのだけれども、毎回行くもんだから顔を覚えられてて、VHSビデオをDVDに焼いてくれたり、親切にしてくれたのもいい思い出。
余談だけど、働き始めてからお客さんに「君が持っておいたほうが良いと思う」と、CONTAX(っていう有名なカメラがあるんですけどね)をもらったこともある。
「SuperHeadz」に話を戻そう。
このサイトのなかに、HEADZ MODELSというフィルムのページがあって、女の子のポートレイトを撮り続けるプロジェクトなんだけど、このページがすごく良くって、何回読んでも良い言葉だなあって思うんですよね。
(2004年の再上映時のフライヤーより)
かわいい子はいつも違うやつに恋している。
僕のほうがいいのに、って誰もが思うが、僕のほうがいいとは彼女だけは思わない。相思相愛は噂でしかなく、誰もが同じ世界の違う部分を見ている。好きなものは絶対に遠くにある。人間は遠くにあるものしか求めない。神様も、アイドルも、偉人も、音楽も、ネコも、あまりに遠い存在だ。キリストは地元ではただの大工の息子だし、出生した同級生の思想家は、自分の中ではケンカの弱い乾物屋の次男でしかない。あらゆる親は生きる事で、子供に影響を与えることができない。
ただ、人生にはちょっとした事故がおこる。それは「成功した恋愛」だ。「成功した恋愛」は本来は遠くにあるものが近くにあるという異常事態だ。皆、この転倒にめまいがし我を忘れ狂い馬鹿になる。しかし、神様は利口なので、決して長くは続かないように仕組んでいる。
カメラに撮影された事物はすべて遠くにあるものだ。カメラは、子供も愛人も妻も愛犬も全てを同じ距離に遠ざけてしまう。だから人間は、写真の中の事物が好きだ。誰が撮ったどんな写真も、可能性として同じってこと、つまり全てはあなたのものだ。
とどのつまり、カメラの中の恋愛だけは、神様もどうすることもできない。
僕らは、カメラの中にある恋愛を、無理やり外に連れ出したくて、HeadzModelsというプログラムを作った。
伝わるといいなあ。- – – HEADZ MODELS「フライヤーテキスト01」
いい写真を撮るってことと、どんなレンズを使うとか、カメラの高性能さとかって、本当は(たぶん)関係ない。シャッターを切るときの、気まぐれさや、意地悪さや、いたずら心があるのが、いい写真だなって僕は思ったりもする。そんな写真はもうFacebookやInstagramでは滅多にお目にかかれなくなってしまったのが、ちょっと残念でもある。
写真右のちっこいのはデジタルカメラ「digital harinezumi」っていうやつ。初めて富士山に登ったときに持って行ったのは、このカメラだったんだけど、ふたつともさっき、そっとゴミ箱に捨てた。
いつも親切にしてくれてた現像屋のおばちゃん、まだ元気かなあ。