写真を撮ると、撮られたひとの魂が抜かれるらしい。とても恐ろしいことであるなあ、と思う。
昔のひとはだから、写真を撮るときに顔を隠しているときもあったそうだ。
魂が抜かれるのは恐ろしいとは思いながら、魂が入っていない写真というのも、それそれでつまんないよなあと一方で僕は思う。小学校の頃、担任だった先生は「大人になるとたいていつまらないひとになりがちですから、つまるひとになりましょう」と言っていたことなどが思い出されます。
僕は写真を撮るのは好きだけど、撮られるのは苦手だ。自分が死んだときに、誰かに撮ってもらった写真のなかに僕の魂が入っていたらそれなりに嬉しいとか思う。それはたぶん、自分の数えるぐらいの写真のなかに入っている総体としての魂。36枚取りカラーフィルムのなかに数枚あるかないか、誰かのPCに格納された、たかだか数MB×数ファイル分の魂。透かしてみたフィルムに焼かれた魂が多分、今日も誰かのハードディスクに記録されているんだろう。
クラッシュしないことを切に願っています。
写真を見ている。前は写真をたくさん撮ってた。写真は、写っているものを写真というひともいるけれど、ぼくは写真は、撮っているひとの感じがする写真が好きだ。