脚の骨を折ってから3〜4ヶ月を経過して、ほぼ普通に歩けるようになった。
ただ、あまり調子に乗っていろんなところに行っていると、また不意に怪我しちゃったりなんかして怖いなと思って、正月のほとんどを部屋で過ごした。友達も部屋に来てくれるし、それ以外はほとんど部屋で仕事するか映画観るか本読むかの3択だ。
その正月、NHKオンデマンドで「神の数式」という特番を観た。
最新の理論物理学では「この世界は実は10+1次元でできている」らしい。その根拠がすごく面白くて、「実際この世界が4次元だと証明した奴はいない」っていう、ほとんど暴力的なロジックに感心して、「ホントに自由な発想というのは、こういうことを指して言うべきだな」と一人で勝手に感心した。
はっきり言ってしまうと、仕事にはほぼ使えない知識と言ってもいいかもしれない(偉人ネタとか世界の謎企画みたいなかたちでは使えるかも)。でも、こういう話はただの雑学というレベルを超えて好きだ。
「神の数式」はアインシュタインが辿りつけなかった統一場理論みたいな、この世界を定義する最も正確な数式。NHKオンデマンドでも観れるけど、YouTubeに上がってるみたいなので貼っておきます(画像はYouTubeの再生リストにリンクしてます)。
人類の思索の歴史。それは、全宇宙の謎を解く唯一無二の“神の数式”を追い求めた歴史でもあった。ニュートン、アインシュタイン以来、科学者たちは「あらゆる自然現象は、最終的には一つの数式で説明できるはずだ」と信じてきたのだ。今、ヒッグス粒子の発見によって、人類は“神の数式”の輪郭をつかもうとしている。“神の数式”の探求に挑んだ天才たちの、苦悩と創造、ときには狂気さえはらんだ思索のドラマを描いたシリーズ。
正月には学生の頃の同級生とも会った。高校や大学の頃の同級生と会うと、自分にとって今の仕事は天職だなと思う。
それは多分この世の中にはホントにたくさんの会社があって、いろんな領域でコミュニケーションっていう得体の知れない解決策が求められているからなんだろうなと思ってて、広告業界という言葉は無くなるんだろうけど、コミュニケーションというサービス自体はこれからもカタチを変えてどんどん大きくなるんだろう。
実際の仕事は仕事で、コツというか勘所みたいなものも、まああって、一般的なのかどうか分からないのだけれども、「自分の強みである能力が最も発揮できるポイントを見極めて、巧く対応すること」で会社のなかに所属する個人としては成長していくこともできる。順調にいけば目標は大抵達成できるし、何か問題があるときには達成できないわけだけど(全タスク完璧にできているわけじゃないし)。
でも最近は、その一連の発想自体つまんないなと思い始めてきた。
特に今の会社に不満があったり不安があるわけではないのだけど、自分の能力の延長線上にある成果、っていう発想、ただの足し算みたいだ。全く予想だにしなかったジャンプの先にあるものを、もっと知りたいし、そういう能力を身につけるにはどうしたら良いんだろう。そういう出会いをひとは運命とか呼ぶのかもしれない。
ここまで自覚的に考えてたわけじゃないけど、去年から突発的に思いついてクライミングを始めてみた(結果、失敗すると骨折するルートにチャレンジするぐらい −公式選手登録するつもりだったんだけど− には上達した)。もしかしたら友達を引き連れてキャンプに行ったり、個人的に山登りしてみたりするのは、無意識に「今の場所からイチバン遠くにあるもの」について考えるきっかけを創り出したいのかもしれない。
「Tsubakuro」Taken on May 2, 2013(Canon PowerShot G7)by Masa
自分の能力を限界まで伸ばした先にあるものは、実は単純な足し算じゃなくて、どこかにジャンプする飛距離のようなものか、もしくは思考そのもののジャンプなのか、想像できなかった類の感覚とか、そういう何かワクワクするものがあるんじゃないだろうか。とか、そんなことを最近考える。
例えばひとが惹かれるってどういうことだろう。「自然が美しい理由」とか、「音楽フェスやキャンプを楽しむ知恵」を要素分解して理解したいわけじゃなくて、もっと個別具体的なものに惹かれる。もっとその場所とか、その瞬間にしか宿らないストーリーとかそういうものが面白いと思う。例えば、自然には人間の考えたロジックなんて圧倒するスケールの大きさとか、細部に宿る美しさもあるはずだ。
普通、みんなどんなふうに仕事してるんだろうか。だからつまり、ほかのひとはどんな思いで仕事してるのか、すごく気になる。とにかく、能力とか成長とかいう名前とスキームで固定化された、予測可能な世界にいる自分がイチバンつまらない未来なんじゃないか。「神の数式」を観ながら、ぼんやりそんなことを考えてた。
あと久しぶりに見た相対性理論の数式、デザイン的にすごい綺麗に見えるというか、美しいなと思った。