金曜の夜から、友達にすすめられていた映画「百万円と苦虫女」を観てた。蒼井優のあの、困った感じの笑顔って萌えます。
鈴子は短大を卒業して就職もできずに、しかたなくアルバイト生活を送っているどこにでもいる女の子。どうにかしてこの生活を変えようと考えている中、ひょんな事件に巻き込まれてしまう。「百万円貯まったら、この家を出て行きます!」と家族に宣言し、百万円を貯めるたびに次から次へと引越しをして、1人で生きて行く決心をする。行く先々の街で様々な人たちと出会い、笑ったり、怒ったり、素敵な恋をしながら、自分だけの生き方を見つけてゆく女の子の旅物語。
誰かとしゃべったりするのは好きだけど、人を詮索するようなことが好きじゃないし、されるのも嫌いだ。外交的な反面、ひとりで考え事をしたいと思うことがよくある。大勢で飲んでいて、誰かをいじるのも嫌いだしいじられると猛烈に帰りたくなる。仕事だと割り切って乗り切ることもままありますが。
多分、会話を重ねて(例えばそれが下世話な話題だったとしても)何かにたどり着く瞬間というか、気付く瞬間が好きなんでしょうね。そういう対話が好きのかもしれないと、最近はポジティブに考えるようにはなりましたが。
そんなことを考えながらTED観てたら面白いのを見つけた。
ただのバカ騒ぎとは距離を置きたいというその感じ、すごい分かる。
面白いテキストも見つけた。
私は、一時間社交的になるごとに、およそ二時間独りになることにしています。内向的な人間にとって、思索とともに孤独でいることは、睡眠や滋養や食事と同じような回復効果があるのです。
(内向的な人々は)全人口においては少数派ですが、才能ある人々においては多数派です。
最悪なのは、外向的な人々が、私たちに苦痛を与えていることを自覚していないことです。時々、私たちは、彼らの「98%中身のない話」による霧に囲まれて苦しくあえぎ、彼らが自分自身にも耳を傾けていないのではと思うほどです。それでもやはり、私たちは我慢して平然を装います。なぜならば、外向的な人々が書いたに違いない礼儀作法の本によると、冗談を言うのを拒否するのは失礼で、会話が途切れるのは気まずいことと見なされているからです。私たちは、いつの日か、私たちの社会的身分がより広範に理解され、「内向的な人々の権利」運動が開花し結実し、次のように言うことが無礼にあたらなくなることを夢想するほかありません。
「私は内向的な人間です。あなたは素晴らしい人だし、私はあなたが好きです。でも、今はどうかおとなしくしていてください」
・Caring for Your Introvert – Jonathan Rauch – The Atlantic
僕には特に才能は無いんだけれども。