最近は月曜から金曜まで東京で働いてる。
月曜の朝に新幹線に乗って、金曜の夜に新幹線で帰ってくる。今週の新幹線では、隣の席に座ったひとがディープラーニングの本を読んでた。多分IT系のエンジニアさんなのかもしれない。
ディープラーニングっていうのは、人工知能をつくるための技術、仕組みのことで、モノや情報を系統立てて分類しながら自分で推測していく技術のことだ。
最近はどこもかしこもAI(人工知能)。これまでに存在したサービスにAIをつければ、大抵のものは新しいサービスになる。AIがオススメするファッションコーディネート、転職者向けにユーザーと企業のマッチ度を事前に予測するAIなんてものもあったりする。すごい時代だ。
普通の人がAIと聞くと、大抵の人は「2001年宇宙の旅」に出てくるコンピューター「HAL 9000」や、ターミネーター2に出てくる極悪非道なコンピュータを想像する。人工知能は、いずれ人間の脳みそよりもどんどん頭が良くなって、最終的には命令系統の矛盾から起きる反乱で人間を滅ぼすだろう。そんなことを言う人もいる。
ただ、みんな気づいてないけど、すでにいろんなところにAIは実装されている。例えば、ウェブ広告のほとんどにはAIの技術が実装されている。今テレビCMと同じ位の予算がウェブ広告に使われているけど、その広告配信システムには、ほとんどがAIが実装されているといってもいいだろう。
Facebookはユーザーにとって常に最適な友達の投稿を、フィードで見せるように設計されてる。例えば、あなたが僕のことにあんまり興味がなかったら、僕の投稿にはいいね!しないだろうし、そういうひとの投稿はあなたのフィードには次第に流れてこなくなる。それはFacebookのシステムが「あなたから見て、僕は興味の無いひとである可能性が高い」というわけだ。
それと一緒で、Facebookで配信される広告も、Facebookの配信システムが事前に、ユーザがその広告を好きになりそうかどうか勝手に判断する。この技術にはほぼAIといっても良い技術が使われていて、ユーザの言語やこれまでに投稿したもの、いいねをした友達の画像、いろんなものを読み込んできて、入稿された広告デザインの良し悪しを勝手に判断する。広告に出てる人の肌の色、目の色、広告のテーマ。テキスト。全部だ。
その広告が配信されるかは、もはや広告主や広告会社のマーケターたちが決定しているわけではない。Facebookの「配信システム」が決定していると言っても過言ではない。その広告のデザインが、いかに偉い人が作っていたとしても、どんなに「良さそうに」見えても、だ。システムがいけてないと判断すれば、配信はされない。だから、それを見越すと大量の広告クリエイティブが必要になってくる。
このシステムを画期的だ。これまで企業のマーケティング担当者は、どんな人にどんなメッセージで広告を届ければよいか、散々頭を悩ませてきた。正直そんなことも考えなくていいかもしれない。システムが勝手にやってくれるのだから。
セグメンテーションや、ターゲティング設計を全部AIがやってくれるとしたら最高だ。限りある予算条件のもと、1番売上が上がる組み合わせを、FacebookやGoogleがマーケティング担当者や広告代理店の代わりにやってくれるのだ。現に、その理想の60%ぐらいまでは実現できていると僕は思ったりもする。
そうして、サービス業の労働力はほとんど必要なくなっていく。僕の近所のスーパーには、最近になって無人レジというのが出来たし、もっと以前から工場の生産ラインでは、ロボットが導入されたせいで必要な作業員はどんどん減っていっている。
こういう話をすると、失業率が上昇するとか、仕事がなくなるとかそういう話をする人もよくいる。でも、そもそも人口は減少していってるわけで、ロボットやAIでも使って生産性を上げない限り、年金基金を支えるのは多分無理だろう。ひと昔前では夢の話だったかもしれないけれど、今となってはかなり現実的だ。一方では、システムで出会えないものと出会う場所を作る、ということも大事になってくるだろう。
そして僕らの仕事は、より「仕事自体を定義する」ことのほうが、価値のある仕事になっていくのかもしれない。
自分の地位や職域を頑なに守り続けるよりも、しなやかに変わっていくことのほうが、飽き性には多分楽しい。80年代から90年代に活躍した多くのコピーライターのほとんどが、小さくなっていくパイを奪いあって、たまにサロン化した品評会で、互いに票を渡し合う。それをクリエイティブと言えるのかどうか、もはや怪しい気もする。
クリエイティブ、というキーワードがこれからどうなって行くのかな、なんて考えている。