方程式というのは、世界の法則を定義するための数式だ。

右辺には変数を代入すべき式が、左辺にはそこから導き出された結果としての数値が置かれる。例えば、ペットボトルロケットを飛ばしたときの水平進行距離L(long)は、初速をv(velocity)、重力加速をgと定義したとき、こんな感じになる。

 

 

それは原因と結果の関係性であり、観察内容を科学した結果としての答えが右側に書かかれている、というふうにも言える。「真夏の方程式」という映画を観ながら、久々に良い映画を観たなあと思ったので、感想がてらにレビューしておきます。

 

「真夏の方程式」あらすじ

真夏の方程式は、物理学者の湯川が難事件のトリックを科学によって解明していくTVドラマシリーズ「ガリレオ」の映画第2弾作品。

物理学者の湯川(福山雅治)は、海底資源の探索調査に協力するため、玻璃ヶ浦に訪れ海辺の宿「緑岩荘」に宿泊することになる。水晶が輝いているようにも見えるという、美しい海に面した「玻璃ヶ浦」では、海底資源の採掘による経済的なメリットをとるか、美しい海を守るのか、意見は二分。そして説明会が開催されたまさにその夜、緑岩荘に宿泊していた塚原を名乗る男が死亡する。

防波堤の消波ブロックに落下していた塚原は、実は元刑事だった。足を滑らせて落下した事故死と思われていた塚原の死因は、検死の結果一酸化炭素中毒によるものだと判明。一転して他殺である可能性が濃厚になっていく。

緑岩荘を営むのは、川畑重治(前田吟)、節子(風吹ジュン)そしてその娘の成実(杏)。成実は玻璃ヶ浦の海を守る環境活動家としての顔をもっており、湯川が玻璃ヶ浦へ向かう電車のなかで知り合った少年、恭平とは親戚関係にあたる。そして緑岩荘を訪れた謎の元刑事、塚原。あまり悪い人物では無さそう。実際、いいひとだったわけなんだけど。

物理学者の湯川は、偶然遭遇した事件に関わることを当初は避けるものの、恭平との仲を深めながら事件の真相に徐々に近づいていく・・・。

予告編はテンポよく編集されているためか、ドラマの延長線上かな?という雰囲気なんだけど、実際にはけっこうシリアスで重厚な映画に仕上がってて、僕は好きです。

 

映画作品としてのリアル、それに対する評価の難しさ

「僕は好き」と書いてはみたんだけど、この「真夏の方程式」、どのサイトでも高評価!っていうわけではなく、そこそこといった感じ。その理由はドラマシリーズの延長線上にあるものとして鑑賞したひとが多かったからなんじゃないかな?と思っています。

allcinema KINENOTE Filmarks Amazon
4.5/10 72.5/100 3.5/5 3.5/10

本来、主人公の湯川は割と軽い感じのキャラクターであり、これまでのドラマの構造としても「トリックを見抜く」というところに主眼が置かれていたから、この映画のシリアスな雰囲気に肩透かしを食らったひとが多いのではないかな?と思う。「湯川は本来徹底的に論理的なはずなのに、その行動に納得がいかない」とか「方程式がどうのこうのっていうストーリーじゃなくって、タイトルに偽りあり」とか書いてるひともいる。要はエンタメ映画でしょっていう評価。

まあ実際、事件の発端となる16年前の殺人事件の動機も、正直人を殺すほどのものでは無いんじゃね?っていう疑問だったり、玻璃ヶ浦で死んでしまう元刑事の塚原に対しても「え、そんな理由で死んだのかよ」っていう、不備とは言わないまでもストーリーテリング上の欠点はいくつかあることは事実だ。

映画の出来栄えとしての素晴らしさ

ただ、そういう点を指して「リアルではない」と書いてしまうにはもったいないほど、この映画は「映画としてのリアルさ」に溢れていて、カメラワークはもちろん、演出、物語を推進させる登場人物たちの動機付け、あらゆるところが素晴らしい。

オープニングはダイビングしていた成実に運転する車から声をかける両親のシーンから始まるんだけど、この直後に暗闇のなかでスパークした電気とパンタグラフが、そしてそれは玻璃ヶ浦に向かう電車であることが、湯川の乗っているシーンで明らかになる。

一見すると平和な町である玻璃ヶ浦。そこに外の世界から訪れた湯川(と、夏休みを利用して親戚の宿に向かう恭平という少年)が、これから起こる出来事の、台風の目になっていくという意味のことを説明することなしに演出のみで物語るのも素晴らしいし、何よりカメラワークがいちいち写真作品のようで大変カッコいい。

 

ひと夏体験ものとしての秀逸さ

ドラマシリーズでは事件のトリックを解明するために湯川は実験を繰り返していたんだろうけど(たぶん)、この映画では“トリックの解明に資する実験”というのは出てこない。湯川は、話にならない海底調査の説明会には出席せず、恭平と「200m先の沖合の海中」を観察するための実験に出かける。この映画に登場する唯一の実験シーンは、少年との交流を深め、互いを認め合うためにある。その実験の前提になっているのが、最初に書いた「ペットボトルの水平進行距離を計算する」数式だ。

宿でひとが死んでんのに、何呑気に実験やってんだよ、という感じではあるんですけど、このシーンがすごく良い。

何度も何度もひたすら実験を繰り返す二人は、科学を通して成長している。湯川は本当は子ども嫌いだった自分から変化するし、恭平は起こった出来事にリアクションするだけでなく、科学の先には真実があるということを知ることによって、物語の軸を一気に修正する存在になる。

実際この後に晩御飯を食べるシーンで、恭平は「じゃあ、この火の上にコースターを被せたらどうなるの?」という無邪気ながら割と核心的な疑問を思いついて、そのまま湯川に質問する。実験のシークエンスの前後で、子どもが素直に成長していく様子が、「疑問をもつ」という演出のみで!さらっと描写されてるのだ。さりげなくも、これは結構な芸当だと思う。

 

「方程式」というタイトル

「真夏の方程式」というタイトルがついてはいるものの、この映画に出て来る方程式は、ペットボトルの飛距離に関するものだけ。それは恭平が体験したひと夏の思い出の象徴であり、数式を理解しないまでも観察と考察という科学的思考を身につけた成長の証になっている。

科学的思考を身につけるとはどういうことか?それは真実に近くことで、それをどう理解し、振る舞うべきか自分で決める、そのポジションにつくってことで、それが人間としての成長するってことなのだ。さらに言うと、その真実というのはペットボトルがどれだけ飛んだかっていうことでは無い。この夏に玻璃ヶ浦で起きた出来事、その裏側にある真実に対して近づき、理解し、これからどう生きていくべきか決めなければならない、という意味をもっている。

ちなみに恭平は最後まで、真実を(おそらく)完全には理解しきれていない。だからこそ、この映画で最後に寄り添っているのは事件を聞いて駆けつけた恭平の父親ではなく、真実の探求者としての湯川になってる。(エンドロール直前の)最後の電車では、父親とは向かい合わせに座ってるけど、ここでは湯川と恭平は同じ方向を向いて座っている。

この時点でも結構素晴らしい映画だなと思ったんだけど、実は「方程式」にはもうひとつの意味がある。方程式というのは常にイコールで結ばれ、両辺の関係性を表すもの。この映画で「イコール」で結ばれていたものとは何か?それはまさしく川畑家のことを指してもいる。

互いに秘密をもったこの三人は、単純な四則演算のような式では語れない複雑な事情(数式)を抱えている一方、本当に愛情で結ばれていて、そのときどきで関数のように状況が変化しながらも、いつも家族のことを想い合っている。そして、その愛ゆえに玻璃ヶ浦で事件が起きる、というのがこの映画の主題になっている。

レビューで「方程式なんか出てこないじゃないか」と書いているひともいたわけなんだけれども、実はこの映画、ずっと家族という方程式の話なのだ。そしてその「家族という方程式」の解法に近づいてしまうのは、湯川と「疑問をもつ」ことで成長した恭平、というものすごい構造になってる。

エンドロールを観ながら「これ何で真夏の方程式っていうタイトルなんだろう」とぼんやりしていたときに気が付いて、最後の最後に感動してしまった。

ちなみに、僕は物理学者がテンポ良く犯罪を推理していくTVドラマの「ガリレオシリーズ」を観てない。犯人が明かされている前提で、トリックを明らかにしていく過程を楽しむ、というドラマは結構あって、有名なものだと「古畑任三郎」とかはそれに当たるわけなんだけど、大抵プロット一緒だろうと思っていて話題になってもドラマを観なかったし、ましてや映画まで観ようなんて思ってなかった。そう思っていた自分をいま最高に後悔しています。

邦画の、特にエンタメ色が本来強いはずの映画で、こんなに感動したのは久しぶりだ。

 

関連リンク

・真夏の方程式(Wikipedia)

・映画 真夏の方程式(allcinema)

・真夏の方程式 – 作品情報・映画レビュー(KINENOTE)

・真夏の方程式 – 映画情報・レビュー・評価・あらすじ(Filmarks)

・ガリレオ『真夏の方程式』の数式、水ロケットの飛距離・初速度・発射角