※今回、みんなに観に行って欲しいので殴り書きレビューになっています

ジャンル映画万歳

映画館で映画を観るひとが少なくなったと言われて久しい。それだけでもまあまあ悲しさはあるのだけれど、輪をかけて残念に思うのはいわゆる「ジャンル映画」を観るひとの少なさだ。多額な予算を投じた一般的なエンタメ映画とは、違う姿勢で観ないと面白くない映画、というのは確実にあって、その筆頭が「ジャンル映画」だと僕は思う。

走って折り重なるっていう設定を編み出した時点で、このWorld War Z(2013)は勝ちなのだ

僕はゾンビ映画が好きなのだけど、ゾンビ映画には①ゾンビ化する原因の理解、②世界がゾンビ化していく過程、③ゾンビが日常化する世界、②解決策の有無という4つのポイント必須要素があって、映画はこの組み合わせでできていると言っていい。で、これらを如何に「これまで描いていなかった描き方で提示できるか」というのがシナリオの肝になる。例えば「Shaun of the Dead」はゾンビのいる世界のなかでいかにそれらを受け入れて日常生活を送っていくか?というコメディ映画なのであり、「World War Z」は人類とゾンビとの戦いを世界レベルの戦災のように描くことでスケールのある世界観を獲得している(制作費はかけてるけどね)。

特に「World War Z」の終わらせ方はとても好きだ。世界を救済するということが困難になりがちなゾンビ映画のなかで、「全世界がゾンビと戦っている」という状況設定を明確に導入することで、最後には世界が救われていく(厳密には救えそうな感じ、だけど)様子をきちんと映画のなかに収めることができていて、これは近年のゾンビ映画における一定の成果と言っても過言ではない。

まさかそこから登場するとはっ・・・!な「エルム街の悪夢」

僕はあまり観ないんだけど、スプラッター映画と呼ばれるジャンルにもそういった楽しみ方はあって、「ジェイソン」や「エルム街の悪夢」を怖い怖いと言いながら観ているひとは少ないだろう。(1作目はそういう観客もいたのかもしれないけど)いま映画ファンが求めているのは「次のモンスターはどうやって退治されんのかな」とか「今回のモブキャラはどうやって殺されるかな」とか、そういう部分だろうなあと思う。

ジャンル映画を楽しく鑑賞できると、どんな映画も良いところを見つけられるようになる。それはクソ映画観ちゃったな〜っていうネタとして・・・という場合もそうなんだけど、稀に凄い野心作に出会うこともあったりするわけで。そんな、自分のなかで今年最大の衝撃だったのが「アス(us)」だった。

映画“Us”の衝撃

映画「Us」はアメリカに暮らす黒人中流家庭のを描いた作品だ。幼い頃、自分と全く同じ少女に出会った主人公が、大人になってトラウマとなっていたビーチへと、自分の家族を引き連れて行くことになる。そこでは自分と同じどころか、全く同じ家族がいて・・・というホラー映画だ。

瓜二つというイメージは恐怖と隣り合わせにある不気味なモチーフで、心霊現象としてのドッペルゲンガーを思い出すひとは多いかもしれない。自分と瓜二つの存在というのはとても気味が悪い。それは自分と全く同じ存在を認めてしまうことによる、自分の存在の不確かさからくるものなんじゃないだろうか。そんなことを考えさせられる映画だった。“あいつら”は僕たちを乗っ取る邪悪な存在に違いない。主人公家族もそう確信して、Us(私たち)側と殺し合いをすることになる。

当初、スクリーンで映画を観ながら僕は「これは実際には存在していない幽霊のようなもので、この悪夢からどうやって脱出するかが肝なんだろうな」と思っていたのだけど、その予想は見事に裏切られてしまった。物語の後半あたりからは、割と具体的な厄災としてUs(私たち)側による侵攻が描かれていてるのだ。それはもはやトラウマをもつ主人公の個人的な恐怖体験というより、社会的に隠蔽された、見ないフリをしてきた(僕らと瓜二つである)影側の団結とか、社会システムの転覆とか、革命みたいな感じになっていく。それを暗喩するようにUs側の連帯は、チャリティイベントのパフォーマンスのようなかたちをとろうとする。

ホラー映画のジャケットとしても秀逸なデザイン

監督であるジョーダン・ピールは、豊かさを享受するもの/発言権がなく豊かさを支えるもの、という社会階層の断絶みたいなものを描きたかったのだという。同じような顔をしているはずなのに、一方は豊かな暮らしをして、一方は社会から存在しないかのように扱われている。豊かさの分け前をよこせ!という影側の反逆は、物語のスタート地点としてとても面白い選択だと思うし、その反逆をホラー映画に仕上げるというのはかなりアイデアとして面白い。

さらに言うと、主人公が黒人女性であるというところもポイントで、黒人のなかにも隠された格差社会のようなものが存在しうる、ということを描いてみせたのは素晴らしい成果なんじゃないかと思う。物語は終盤に向かうに連れて、よりスケールを増していき、これは黒人だけの話ではなくなっていく、という流れにすることでアメリカ全体を描いていることも示唆している。

生まれた境遇がほんの少し違うだけで生まれる光と闇や、それに気付くことができない/気づくことを避けていたい現代社会。主人公アドレードがお前たちは誰だと訊くと、Us側は「We are Americans(私たちはアメリカ人だ)」と答える。アメリカは光と影でできている。Us(私たち)とは、United States(アメリカ)のことなのだ。

Us側(影)の連帯のモチーフになったHands Across Americaというチャリティは調べてみると分かるけど、どちらかというと失策に当たるイベントとして記憶されているらしい。このイベントは1986年に行われたチャリティいべんとなんだけど、アメリカの貧困を救うという身近なテーマにも関わらず、実施されたパフォーマンスは目の前にいるひとを救うというより「手を繋いで連帯を示す」という間接的なものだった。制作されたチャリティソングは振るわず、結果としては微妙なイベントになってしまった。

このビジュアルだけで「この映画勝ったな」感ある

実施されたイベントの顛末を知ることができなかったUs側の連帯のパフォーマンスが、貧困を救うというテーマで実施されていたという事実は偶然ではないだろう。

最後の大ネタにしても、とても考えさせられる。ホラー映画って、常套手段として最後の最後に壮大なぶっ込みネタを用意するんだけど、今作のオチというのが映画全体のテーマである社会的な壁を隔てた「光と影」にまつわるものであることにも唸ってしまった。

強そう

主人公のトラウマの本当の理由は、自分と瓜二つの存在によるものではあるのだけれど、それって実は、自分自身のなかにあるものでもあるんですよね。そんな実はホラーな社会構造の上に成り立っているという、現実のほうが、よっぽど恐ろしいのかもしれないなあと思ってしまった・・・。

ホラー映画という垣根を超えて話題になってしまったので、「背景の論理的な説明が不十分」とかいった論評もあるんだけど、メタ的なジャンル映画、寓話としてのホラー映画として鑑賞すると、とても深い洞察を得られる映画だなあと僕は思いました。オススメですので、映画館でぜひ観てみてください。

 

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