ビッグデータと、デジタル広告の配信精度
広告業界以外のひとにこれを話すと怖がられるけど、Facebookでは「遠距離恋愛しているひと」だけに絞りこんで、広告を配信することが可能だ。Googleでは「そろそろ結婚しそうなひと」に向けて広告を配信することもできる。
「データ」は次世代の石油だ、というのは本当に言い得て妙な言い回しだなあとここ数年の昨今のデジタル広告を見ていて思うのだけれども、この言い方が浸透しているということは既にデータ界隈を制圧した勝者がいるからなのであって、その筆頭を挙げるならGoogleとFacebookということになる。
GoogleやFacebookの広告配信管理画面を開くと、一般のひとがびっくりするような精緻な配信設定が可能だ。さらに書くと、Facebookでは広告の配信がスタートする前に、入稿された画像や動画がどれぐらいの効果を上げるかある程度予測できる。例えばあなたが何に興味があるか、なんてことはもちろん、目の色や肌の色まで理解したうえで、プラットフォームは広告を配信しているから。
噂というかおそらく本当だけど、Facebookはあなたが押した10のいいねだけで、あなたの性的指向まで予測することが可能なんだそうだ。
GoogleやFacebookがなぜそんな芸当をこなせるかというと、実装されているAIの解析技術が優れているのはもちろんのこと、その前提には僕たちが「自主的に提供してきたデータの山」の存在がある。過去に検索した履歴やウェブサイトへの訪問データ、どんな記事にいいね!を押したか、誰の意見に賛同しやすいか、それらを解析した結果が、現在の配信精度の高さの所以だ。
細かく設定できることと、細かく設定すべきかというのは違う
ただ、より細かく設定できるからそうしたほうが良いかというと、そうでも無いんじゃないか?というのが今日の話。
細かく設定しすぎてしまうと、GoogleやFacebookのようなメディアの配信アルゴリズムに学習させる遊びがなくなってしまうので、狭いターゲットにしか広告が配信されず、結果としてキャンペーンは失敗してしまうこともある。これはFacebookもかねてから指摘していることだ。
先日会社のメディアコンサルと話をしていて面白かったのだけれど、配信アルゴリズムに逆らわず、大きな粒度からAIによる自動最適化に任せてしまったほうがよっぽど実は効果は高い。デジタル系の広告会社はA/Bテストをやりたがるから、設定を細かくしがちだけど、実はそれは逆効果なんだという。
広告の配信なんていずれ完全自動化されるよ、というのがメディアコンサルの見解で、むしろ重要なのは「最適な広告CRがシステムから自動的に選ばれて配信されていくときに、配信されるべきCRがリストのなかにあるか」だ。
重要なのは、表示されたときに何を見せるか?というCRの問題
仮に広告主がワインショップだったとして、イタリア料理好きなひとが好きなワインと、フランス料理好きなひとが好きなワインは違うはずで、接客するときには最適なワインを推奨すると思う。それと同じでCRにも個別具体的な切り口や表現の差がどんどん必要になってくる。
もちろん広告なのでちゃんと機能するようなフックだったりユーモアは必要なのかもしれないけど、むしろ一連の広告がもつそれぞれの違いをどう設計するか?っていうほうがクリティカルな問題になっていくんじゃないかなあ、なんて。
ハズキルーペのCMが一部で絶賛されたり、逆に「とはいえどうなんだ」みたいなことが言われているわけだけど、僕がなんとなく思っているのは、あれは実はCMのふりをしたインフォメーションなのであって、今後CRの大量生産が主流になっていくんだったら、ハズキルーペみたいなCMだらけになっていくんだろうなあとか、そういうことだ。
ハズキルーペのCMを初めて見たとき、「あーこれなんかどっかで見たことあるんだよなあ、こういうの」って感じていたのだけれども、それって多分「近未来SF映画とかで良くみる未来の広告」なんじゃないか?「言いたいことを言いまくる」、そんな広告だらけになる未来が僕たちを待っているのではないか?
今日なんとなく、そういうことを思った。