乗用車の自動運転技術というのは、まだ実用段階ではないんだけど、法整備のためにざっくりと5段階にレベル分けされていて、世界的にはレベル2までが実用段階の限界になっている。
海外でどのレベルまで解放されているのか、詳細な法制度を調べたわけではないけど、運転支援レベルであれば、最近の乗用車にはかなりの精度の技術が実装されている。PayPalマフィアのイーロン・マスクが起業した、電気自動車技術の最先端をひた走る「Tesla」は、その主要なプレイヤーの一人だ。
TeslaのModel Sには実質的には自動運転可能なソフトウェアが実装されているけど、現状では運転支援モードとして限定された「オートパイロットモード」を使うことができる。去年の暮れ、オートパイロットモードで走りながら酩酊していたドライバーが、警察によって停止させられた事件は、テック界隈ではかなりの話題になった。
テスラの半自動運転機能「オートパイロット」をオンにしたまま、酒に酔って居眠り運転をしていた男が、米国の高速道路で逮捕された。いかにパトカーは高速走行中のテスラ車を安全に停止させたのか? 運転者の前方注視を促す安全装置は、いかに回避されていたのか? 自動運転を巡るさまざまな疑問と課題が、今回の事件から浮き彫りになってきた。
– – – テスラの「オートパイロット」に盲点? 居眠り走行による事件で浮き彫りに(Wired.jp)
参考までにレベル毎の基準をメモっておこう。
【支援無し】レベル0 ドライバーがすべてを操作
【運転支援】レベル1 システムがステアリング操作、加減速のどちらかをサポート
【運転支援】レベル2 システムがステアリング操作、加減速のどちらもサポート
【自動運転】レベル3 特定の場所でシステムが全てを操作、緊急時はドライバーが操作
【自動運転】レベル4 特定の場所でシステムが全てを操作
【完全自動運転】レベル5 場所の限定なくシステムが全てを操作
なぜレベル2、運転支援までなのか?というと、万が一、自動運転の乗用車で事故が発生した場合、法律的に誰を裁くべきか?という問いへの回答が、現在の司法制度では出しにくいからだと言われてる。一般的な感覚だと、クルマに乗っていたひとが罪に問われるべきだけど、運転しているのは本人ではなくプログラムなので(先程のニュースのように寝ていた、ということもあり得る)、事故の責任の一端は自動車を開発したメーカーや、プログラムを開発したソフトウェア会社にあるとも言える。この司法判断というのが、とても難しいというわけ。
レガシーな自動車メーカーのなかでは、最も進んでいるとされているのはAudiで、R8がレベル3目前の水準まで完成しているという。現状での運転支援というのは、シンプルに言ってしまえば加減速をしながら衝突回避する性能のことを指す。Audiの広告ではそのメッセージを「A Pleasure To Follow」、つまり「ついて行きたくなるクルマ」だと主張している。
CMのBGMは「ついて行きたい、いつもそばにいたい」という意味を込めてか、「Close To You」のカバーソングが効果的に使われているのも好印象だ。
ただ、レベル3に近づいているのはレガシーな自動車メーカーだけじゃない。冒頭に書いたイーロン・マスクの立ち上げたベンチャー「Tesla」もそのなかのひとつだ。Teslaの技術はとても完成度が高いとされていて、GoogleやUberの自動運転技術とも張り合っているとかいないとか。社内のソフトウェアエンジニアが、ベンチャー的な発想で開発しているからかもしれない。
現在販売されているTesla車のなかで一応のところ最上位にあたるのは「Tesla S」というモデルで、冒頭に書いた「オートパイロット機能」が実装されている。ただし、Teslaは技術を限定的に公開しているだけで、レベル3の運転技術はほぼ完成している言っても過言ではない。
上の動画を見ると、ハンドルに一切手をおかなくとも、目的地にスムーズに運んでくれる様子が記録されていることが分かる。バック・トゥ・ザ・フューチャー2でさえ、クルマは人間が運転していたというのに!
クルマの運転に人間が不要になると、乗っている人間は運転から自由になるわけだから、その間に様々なタスクをこなすことができるようになるのは想像に難くない。出勤中にメールやSlackの通知をチェックして、時間があれば出社前に全て返信してしまう、なんてことも可能だ。
もちろん映画だって楽しめるし、両手が空いているだろうからクルマのなかにディスプレイを持ち込んでゲームをやったりするひとも出てくるんだろう。
Volvoはそんな自動運転が当たり前の時代に向けたコンセプトカーとして「The 360c」というモデルを発表している。360というのはおそらく、自動運転だからこそ全方位安全性を高めたい、みたいな感じの意味を込めてるんだろう。こういうコンセプトモデルは、今後TOYOTAあたりもどんどん出していくのではないかな。
自動運転技術のおかげで、ひとやマーケットの可能性は広がるし、みんな幸せだ。とは言うものの、それによって失われるものも、もちろんんある。それはずばり、運転することそれ自体の楽しさだ。
荒野を派手に飛ばしてみたり、ロータリーをぐるぐる回ったり、彼氏にイタズラをしてみたり。こういう人間ならではの運転こそ素晴らしい。それこそが僕たちがクルマに乗り込む喜びなんんじゃないだろうか。そうSuzukiは主張する。日本の自動車メーカーでいうと、MAZDAなんかも会社のビジョンとしては近いところにあるんじゃないでしょうか。
ハイヤーに乗り込むように快適な運転に身を任せる、だけではない「自分が運転することの価値」というのは、常日頃から感じているストレスフルで面倒な運転とは対極にある。それはもっと能動的で、解放的、発散的な活動だ。
Fordでは、そんな「スピードを出せばストレスを発散できる」というインサイトを上手くキャンペーンに利用している。「Speed Therapy」キャンペーンは、一般ドライバーをイベントに招待し、猛スピードやドリフト運転を実際にやってもらうストレス発散イベントだ。
最初は心持ち不安そうなドライバーが、徐々に興奮して感極まっていく表情の変化と、「Boost Your Mood」というタグラインが、絶妙のバランスでユニークなCMに仕上がっている。自動運転が一般に浸透した未来では、こういう自分で運転しよう!みたいなイベントが週末とかに開催されたりするのかもしれませんね。
AIやシステムが僕らを統制する未来なんて実はとっくに来ていると僕は思っていて、でもだからこそ素晴らしい人間の感覚、というのも一方で存在する。そういう肌感覚の優れたブランドというのは、感性がフレッシュで良いなあと思う。