「パーティーはいつから始まったのか?」

そんなことを考えるひとはとても少ない。それは当たり前の話で、「音楽を聴いて騒ぐ」というのはとても享楽的なアクティビティだからで、その瞬間自体に思想性は薄いからだ。ただ、どんな趣旨でどんな音楽を聴くのか?という観点からパーティーを俯瞰的に覗いてみると、ちょっと意味が変わってくる。

いまや世界を席巻しているEDMというジャンル。これはもともと「エレクトロ・ダンス・ミュージック」というハウスやテクノを包括する言葉だった。そのスタート地点である「ハウス・ミュージック」は、LGTB、特にシカゴに住むゲイの黒人たちが夜な夜なストレスを発散するためのパーティー会場 = The Warehouseと呼ばれたクラブがその由来だ。また、その後デトロイトで生まれた「テクノ・ミュージック」のストイックなビートは、黒人の厳しい環境を反映した、とても思想性の強いものだったりする。

四つ打ちの音楽が好きとか、DJをやっているというひとは多いけど、歴史的な観点からなぜその音楽が素晴らしいのか、なぜそういうDJスタイルがある(あったのか)のか、語れるひとは少ない。

「What to Play」のDJ論ではPCDJに関連する機材やDJコントローラーといった「How to Play」ではなく、むしろ「そのとき何をかけていたか」という歴史的な観点から、いま考えられる「What to Play(何をかけるべきか)」を考えるヒントについて、これからDJをやるというのはどういうことなのか考えていきたい。

 

 

再現可能な音楽をどう制作して流通させるか

音楽を聴く、というスタイルはいろんな種類がある。あるひとは部屋の高級オーディオで音楽を聴くことを指すかもしれないし、いまのご時世ネットワークに常時接続されたiPhoneで、ストリーミング再生しているひともいるかもしれない。

多様化していく近現代の音楽を考える上で重要な要素が実は二つある。それは①十二平均律という音楽自体のフォーマットと、②音楽の複製技術だ。

 

十二平均律の成立と当時の聴き方

十二平均律というのは1オクターブを「ドレミファソラシド」で分割する方法なんだけれども、これが世界共通言語として普及していくことで、「Aという楽曲が、Aとして(ほぼ同じものとして)演奏される」ということができるようになった。いわゆるバッハとかの古典派クラシック時代にその技術は確立したと言われている。音階という概念を無くしてしまうと、「普通に聴いて音楽と認識できる」というものをつくるのはとても難しいことなのだ。それぐらい画期的な出来事だったってこと。

ただしこれには致命的な問題があった。

それは「記号化された音楽 = 譜面」を読み、意図を理解し、演奏する技術が必要だってところ。ときには何十人もの演奏者が様々な楽器をもって、大きな広場やホールで再現する必要がある。それには多大なコストがかかる。なので近代の音楽を聴くという行為は主には金持ち向けのエンターテイメントだった。

だからこの当時、流通していたのは実は音楽じゃなかった。楽譜だった。

印刷技術が発達して楽譜が大量生産されるようになると、楽譜は一般家庭向けにも印刷され、ピアノをもつようになった中産階級の家庭が、家で演奏するようになる。1940年代ぐらいまでの、こういった音楽の楽しみ方をシートミュージック(楽譜で楽しむ音楽)とか言ったりもする。日本でも第二次大戦ぐらいまでは国策ソングが楽譜として大量生産された。

 

音楽の複製技術とは

シートミュージックそれ自体は音楽の大衆化に大いに貢献した。ただし、一般家庭で高度なオーケストラを聴くことはできない。そこで登場するのが「複製技術」だ。一般に複製とは「コピーする」ことを指すんだけど、ここではもっと抽象的な広い意味で使おう。

ラジオの時代

例えば「放送」もコピーのいち形態だ。放送局にある音や映像はひとつしか無い。ただし、一旦電波に乗ってしまえば、電波を受信できる端末、ラジオやテレビがある家庭に一気にコピーすることが可能だ。アメリカが本格的なラジオ放送時代に突入するのは1920年代。これはシートミュージックとはまた別の音楽の楽しみ方が開発されたことを意味する。

ラジオはシートミュージックと比べると、格段に音楽の再現精度が高い方法だ。クラシックからポップス、本来であれば何十人も必要な音楽が、ラジオさえ用意すれば「まるでその場にいるかのように」楽しむことができるようになった。この意味で、ラジオは音楽の大衆化に貢献した、最初にして最大の功労者だ。ラジオの前にいれば、時報を正確に合わせることもできるし、聖書の朗読だって聞くことができる。そして、音楽に合わせて踊ることだってできるのだ。

レコードの登場

そして1940年代の後半から登場したのがLPレコードの登場だ。

「レコード」と呼ばれる録音形態・複製技術は1920年代から存在していたけど、前世代のSP盤と呼ばれたレコードは割れやすく、針の交換も面倒だった。そこで登場したのがポリ塩化ビニール素材を使ったレコード盤。細かな音の採録が可能になり、音楽の長時間再生や高音質収録に耐える素材だ。今のDJがレコードのことを「ヴァイナル(Vynil)」と呼ぶのは、レコードがポリ塩化ビニールを使っているからなのだ。

レコードが普及したおかげで、僕らは「選曲する」ということができるようになった。

これはものすごく画期的なことだ。ラジオで聴いたお気に入りの音楽のレコードをチェックして購入、レコードプレイヤーに載せれば、いつだって、何回でも音楽を聴くことができるし、「次に何を聴くか」レコードを前にして贅沢な悩みをもつことだってできる。その行為は本質的にDJと全く同じなのだ。

LPレコードを前提として行われた初めての録音は1951年、MilesDavisの「Dig」がそれに当たる。これまでの3分っていう時間制限を気にする必要が無くなったことで、ジャズはより長時間のソロパートを収録することができるようになった。時はサンフランシスコ講話条約の締結、ラジオではR&Bに特化した番組「ムーンドッグズ・ロックン・ロール・パーティー」がポップ専門局で開始された年だ。

 

Howの確立からWhatが生まれた

こうして見ると「How to Play」の確立によって、何を聴きたいか僕らは選べるようになった。それが「What to Play」をもたらした。そういう見方もできるかもしれない。

 

ブルースとジャズと、ナイトクラブの誕生

十二平均律によって音楽はフォーマット化され、1900年以降様々な音楽のジャンルが生まれ、新しい音楽の楽しみ方、しかも大衆的な楽しみ方が生まれた。

 

ブルースとジャズの誕生

その最大の事件が「ブルース」と「ジャズ」の誕生だ。DJを始めるならこの2つのポイントは覚えておくと良いと思う。全然違う音楽の景色が見えてくる。

この2つのジャンルの誕生によって、世界はそののち様々な派生音楽を生み出した。例えばR&Bは「Rhythm and Blues」の略だし、ジャズのビート感覚は「カントリーミュージック」に影響を与え、最終的に「ロックンロール」というジャンルに結実する。

ちなみにだけど、1949年にアメリカの大手芸能雑誌「Billboard」誌は、それまで「レイスレコード(黒人種のレコード)」と呼んでいたランキングを「R&B(リズムアンドブルース)」へと変更。また「ヒルビリー(田舎の音楽)」と呼んでいたチャートも「カントリーアンドウェスタン」という名称に変更される。これはジェリーウェクスラーという記者の進言によるもの。彼は後にアーメット・アーティガンというトルコ大使の息子と一緒に「アトランティックレコード」というレコード会社を運営することになる重要人物。このあたりの面白い歴史に関しては、また別の機会に紹介しよう。

 

ナイトクラブの誕生

さて。十二平均律というフォーマット、さらにラジオ、レコードといったメディアの土台が整いつつあった1900年以降、音楽を聞く場所としてのクラブはどんな歴史をたどってきたんだろうか。

実はアメリカで音楽を聴ける酒場ができたのは、けっこう早く1900年-1920年頃だと言われてる。もちろんまだDJなんて登場はしていないけど。

それらは元々バーのような場所であり、アメリカでは労働者向けに提供されていた娯楽のひとつだった。店のなかにはちょっとライブができるようなピアノが置いてあったり、ジュークボックスから流れる音楽に合わせて踊った。ちなみにジュークボックスの歴史は意外に古く、初めて設置されたのは1889年。サンフランシスコのバーであるパレ・ロワイヤル・サルーンに置かれたという記録が残っているけど、当時のジュークボックスは人の声とかが再生されるから面白いみたいな、音楽用途ではなかったらしい。

この当時、実はこれらの場所は「クラブ」ないしは「ナイトクラブ」とは呼ばれていなかった。地域ごとに差があって、南部から南西部では「ホンキートンク」、南東部では「ジュークジョイント」と呼ばれていたらしい。いまのように音楽に興じて享楽的に踊り狂うというよりも、流れてくる音楽に身を任せてノル、みたいな感じだろうか。それぞれで、流れていた音楽にも違いがある。

ホンキートンク

ホンキートンクミュージックと呼ばれるジャンル。これはごった煮の言い方で、簡単にいうと、いわゆるカントリーミュージックや、ビバップと呼ばれるジャズの一形態に影響を受けた音楽の総称とも言われてる。- – – Honky-tonk(Wikipedia English)

ジュークジョイント

一方ジュークジョイントで、プレイされていた音楽は「ブルース」だったそうだ。その他に、ブルース以外の曲も演奏または鑑賞されていたようだ。- – – Juke joint(Wikipedia English)

 

レジスタンスたちとディスコの誕生

アメリカのホンキートンクやジュークジョイントは、音楽を聴きながら身をまかせる場所ではあったかもしれないが、ディスコ的なものではなかった。では所謂ところの「踊れる」ディスコはいつ、どこで生まれたのか?

答えは「フランス」だ。

 

ディスコの誕生

ディスコの語源は「discothèque(ディスコティーク)」。これはマルセイユ地方の方言で「レコード置き場」を意味する。1940年代のナチス占領下のフランスではアメリカの音楽は退廃的だとして禁止されていた。特に禁止されていたのは「スウィング」「ジャズ」などの踊れる音楽の生演奏だった。そこでフランスの若者はレコードをかけて踊るようになったというわけ。これがディスコ誕生の瞬間だ。

当時フランスのディスコティークは、ナチスの体制に抵抗するレジスタンス、特に若者を指す「zazous(ザズー)」の夜の娯楽として機能した。それは楽しみでもあり、踊ることそれ自体が厳格な体制への批判でもあったのだ。

下の動画は「ザズー」という呼び名の由来になった曲。フランス占領が1940年で、この曲は1933年のものだ。ジャズというより、スウィングミュージックをシンプルにして(というかスウィングが流行するのが1930年代~1940年代)、カントリーミュージックと足して2で割ったみたいな曲。

この文脈でよく、「当時のディスコティークではビバップが流れていた」という記述もあるけれど、録音されたビバップの誕生は1947年、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンクの「Bird and Diz at Carnegie Hall」だとされていて、ちょっと違うんじゃないかな?と僕は思っております(ナチスによるフランス占領は1944年以降ぐらいまで)。おそらく解放後のディスコティークでは、アメリカの当時最先端のジャズである「ビバップ」も流れ込んだ、というのがホントのところではなかろうか。

一方その頃、ドイツ国内にも反体制派の若者とういうのはいたらしく、彼らが集まるクラブもあったそうだ。Swingjugend、「jugend」というのは青年とか青春とかいう意味で、Swingjugendというのは「スウィングな青年」ぐらいの意味。彼らはベルリンに多く存在していたんだけど、そのほとんどは強制収容所に投獄されてしまい、何人かは絞首刑の目に遭ってしまったそうだ。

 

ディスコティークにおける退廃的な音楽とは

日本でもそういう時期はあったわけだけど、「退廃的な音楽」っていうのはどういうものか、ちょっと紹介しておこう。

これは、Glenn Millerの「Introduction To A Waltz」という曲で、ジャンル的にはスウィング、それをもっとアッパーな感じでスピード上げてる。これは確かにノリノリになれるよね。今の時代からすると、展開にはEDMのようなピークタイムのパリピ感すらある。

このひとは、スウィング全盛時代を代表する「Glenn Miller Orchestra」というバンドを作曲家として率いていたわけだけど、戦争が始まると解散。アメリカ軍に入隊して軍楽隊を率いてヨーロッパ中を回ったひとだ。

「退廃的な音楽」というのはやる気がなくなるんじゃなくて、要は「アメリカかっけぇ!」ってなってしまう音楽のことなのだ。当時アメリカは国策としてこのポピューラー音楽を使って戦意を高揚する、というのをかなり意識してやっていて、戦地でも音楽が聴けるように手回しのレコードプレイヤーや、グレンミラーをはじめとした大衆音楽をまとめたディスクを「V-DISC(V=Victory=勝利)」として配っていた。- – – V-DISC(Wikipedia English)

 

地下文化は抵抗の文化か

ハウスミュージックはシカゴのゲイコミュニティから始まったという経緯からか、アンダーグラウンドな文化はアンチ体制というか、カウンターカルチャーとして見られがち。

それは確かにいち側面ではあるのだけれど、一方で占領下のフランスのような事例を見ると、そもそも踊れる=気分が高揚する音楽、という図式をつくったのもの、アメリカ側の時代的な戦略ではあったと僕は思う。そういういろんな切り口からDJ文化の歴史や、盛り上がりを考えてみるのも面白い。

 

スウィングやジャズが果たした役割

クラブ、いわゆるナイトクラブという場所が生まれたときに流れていた音楽。それは「スウィング」や「ジャズ」と呼ばれるものだった。

それは今のディスコとは全く違う種類の音楽で、いち側面から見るとその聴き方・楽しみ方は反体制的なスタイルであったし、もうひとつの側面から見ると、戦意高揚のために仕立て上げられたムーブメントであったとも言える。

そして第二次大戦後にアメリカでは、そのジャズは大きく変化することになった。それが「ビバップ」と「モード」と呼ばれるスタイルだ。ジャズにおけるこのふたつのジャンルは、ジャズを今みんなが考えているクールでカッコいい「ザ・ジャズ」に進化させることになるわけだけれども、一方でディスコという「踊れる空間」とはちょっと距離を置くようになっていく。

それでもやっぱり、踊れる音楽を提供したという意味において、このジャンルの影響はとてつもなく大きい。

 

パーティーとDJの誕生 -アメリカでのディスコ興隆期-

では最後に。アメリカで踊れるディスコが登場するのはいつか。それは1960年代以降になる。

1960年代以降のディスコを語る上で外せないのが、ジェームスブラウンに代表される「ファンクミュージック」と、「フィラデル・フィアソウル(フィリーソウル)」に代表されるソウルミュージックの誕生。そして1960年代の「アフリカ系アメリカ人公民権運動」。

また、DJの一般的なスタイルである「楽曲を途切れなくプレイする」というノン・ストップ・ミックスのパフォーマンスを披露したのはFrancis Grassoというひとで、NYのナイトクラブ「The Sanctuary」がその聖地だ。ただしそれは、1969年頃の話。そして1970年にDavid Mancusoという音楽オタクが「The Loft」というパーティーを始める。

ただ、これ以降はまた別の記事で書くことにしよう。

 

もっと深くて広い音楽の愉しみ方

僕はハウスやテクノが好きだ。でもそれ以上に、いろんな音楽同士が織りなす力学、それ自体が好きでもある。文化や歴史から生まれる新しい音楽。そしてそれが世の中に与える影響。その逆もまた然りで、世の中の気分からヒットソングが定義されることもある。

せっかく音楽が好きで、しかもあなたがDJを始めようとしているのなら、それを知らないのはもったいない。ただ単に知識としてDJの技術や歴史を覚えるのでもなく、音楽自体の大きなうねりを感じながら、音楽を楽しむ。そういうDJがもっと現場に増えたら、DJをやることもDJについて語ることも、もっともっと楽しいだろうな。

この記事ではDJが登場する遥か以前の時代を紹介してみた。でも、いまのDJにも通じる何かを感じ取ってもらえたらなと思う。

 

参考文献

 

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