国内最大のDJ輩出実績を誇るIII FAITHS DJ SCHOOLさんへのインタビュー企画。

第3弾の今回は、DJスクール校長である神山清豪さんに「なぜDJになったのか、なぜDJスクールを創設することになったのか」という創設理念を聞いてみました。

音楽との出会いはひとそれぞれ

本題に入る前に好奇心で聞いてみたいんでけど、naka_changさんはどういったジャンルからDJを始めたんですか?

意外!って言われるんですけど、僕はHIPHOPが最初に本格的に音楽を好きになったジャンルですね。

naka_changさんのDJスタイルを考えると確かに意外!何系のHIPHOPでした?

もうゴリゴリのギャングスタRAPとか聴いてましたね。ダブダブのデニムを履いて笑

時代〜笑

恥ずかしい笑。当時中学生ぐらいですから、ちょうど90年代後期から00年代へスタイルが移行していく時期でした。その思春期に刺さったのがDr.Dreの「2001」っていうアルバムだったんです。
海外のHIPHOPってやっぱサンプリング文化でSOULやFUNKをすごく使うじゃないですか?それでブラックミュージックを好きになって・・・DJでも元ネタとサンプリングされた楽曲を同時に使うとか良くやってましたね。本格的にテクノやハウスを聴くようになったのは高校~大学生になってからですね。

ちなみに管理人を4つ内の世界へ誘ったのは90年代のカルチャーを取り上げた映画「GROOVE」。倉庫街を一晩だけ違法に占拠して行われるレイブカルチャーを映像として見ることができます。

先生のルーツは他ジャンルだったりしますか?

僕のほうもまさにそうで、僕って実はバンドマンだったんですよね。兄の影響でX JAPANとか聴いてて、専門学校にも行きました。ただやっぱり2000年始めってバンド世代には厳しい時代で・・・上手くいかなくって音楽辞めようって思ってたんですよ。

普通の仕事をするようになってたわけですか?

そうですね。それで音楽活動を辞めようと思って、仕事し始めたんですけど。当時はカフェで働き始めたんですよ。自分のお店を持ちたいなと思って。
で、そのカフェがたまたま「AIR」の上にあったんですよ。

FRAMES代官山ですね。

解説:「AIR 代官山」というクラブはオリジナルコンピレーションなどを出すほど東京では有名なクラブ。海外DJなどのツアーにもよく使われたり、映画「LOST IN TRANSRATION」のロケで使われたこともある国際色豊かなクラブ。

直感的に、DJで世界獲れると思った

そうそう。で、FRAMESって週末AIRでパーティーあると無茶苦茶ひと入るんですよ笑

AIRですもんね。

そのおかげで店舗もすごく潤うんですよ。だから自分がお店を持つときは絶対にDJブースはあったほうが良いなって、そのときに思ったんですよね。当時バンドマンが必死にチケットを捌いてるのに比べて、DJのやるパーティーって集客しやすそうだなって。

で、ある日音楽仲間がお店に来てくれたときに一言、「いや〜こんな有名クラブの上にあるカフェで働いてるんだから、清豪もDJやれば良いんじゃないの?」って言われたんです。

それがDJになったきっかけだと。

いや、実は言われたときにはそんなに確信してなくって、「確かにカフェにDJブースを置くなら一度は機材を触っておかないとな」ぐらいの感じでした。やり方だけ覚えておいたほうが良いなって。そしてDJやってる友達を頼って、触り方だけ教えてもらうことになったんですけど、

これだ!と

触った瞬間に「これなら世界獲れる!」と。まあ素敵な勘違いですよね笑

DJを初めてからクラブに立つようになるのは、すぐでしたか?

それがやっぱ大きくて有名なクラブだと、先輩もいるし簡単にはDJブースに立たせてもらえる機会ってやっぱないんですよね。でも練習したらクラブ立ちたいと思うじゃないですか。

だったら自分でパーティーやろうと思って、クラブじゃなくて大きめのカフェとかバーとかでイベントをやり始めたんですよ。幸いにも、そもそも自分でお店をつくろうと思っていたので、どういう風にしたらDJブース置けるかとかはもちろん頭のなかにはあって、どうやれば実現できるかってすぐに実行できたんです。

で、蓋を開けてみたらすごい人来るようになって。

そのときはどんなジャンルを流していたんでしょうか?

ハウスですね。2000年代半ばぐらいなんで、90年代に流行ったハウスから音的にもオシャレになってて、日本でもちょうど盛り返してきてた頃でした。

EDMへ移行していく前のKASKADE。綺麗なメロディラインのハウスが大流行してましたね

2000年代前半から半ばまでっていうと、当時ちょうどカフェとかダイニング併設バーみたいな、いわゆるクラブではない場所にDJブースがつくられるようになった時期ですよね。

そうそう。DJ、パーティーというとどうしてもクラブ!ってなっちゃいがちだった時代が変わり始めてて、ちょうどその波に乗れたんだなって今になって感じます。だからパーティーを企画するオーガナイザーも少なくて、競合がいなかったんですよね。

何人ぐらいの規模だったんですか?

200人ぐらいでしたね。営業が終わったあとのレストランを借りて、音響機材をレンタルして搬入して・・・って仲間と準備してわいわいやってました。

それはお一人でやられてたんですか?

いやチームでやってました。もともとクラブで遊んでたメンバーがいて、バンドをやってたんですけどクラブによく遊びに行ってたんです。そのひとたちが先にDJを始めてて、「結局、清豪もDJになったんだね笑」みたいなノリでした。自分はひとを集めるのが結構得意だったこともあって、結構僕が企画して参加してもらってた感じですね。

パーティーの本場アメリカを見るため、単身ロサンゼルスへ

意外なんですけど、羽振り良くイケイケだったお話から何故DJスクール?って感じなんですけど、

でしょ笑。でも実際当時、これで生活できるわって思ってはいましたね。ただ、これ以上はあるのか?って感じてもいたんですよ、日本に。クラブを視察しに行ったりして虎視淡々と次を狙ってはいたんですけど、彼ら(クラブのDJ)がどれぐらい貰ってるんだろうとか、そんなに裕福そうでもないし、これはこのシーンって何なのかなと思って見てたんです。楽しいんだけど、この先これに未来があるのかわからないなかで先に進むのは嫌だったんで、ロサンゼルスに行こうと思って。

やっぱ最先端だと。

アメリカだなと笑。でそのきっかけが、毎月やっていたパーティーに来てた女の子の友達が、ロサンゼルスに留学してて、そのときの友達が遊びに来てくれてたんですよ。で、その友達がダンサーで、ロサンゼルスでダンサーで活動してて。その子が、あなただったらロサンゼルスで絶対DJできるよ、通用するよって言われたのを、ちょっと調子に乗ってしまって笑。行ってみたいなって思っちゃって。通訳をつけてお金払って、ロサンゼルスに2週間ぐらい行ってみたんですよ。

修行というより視察なんですけど、隙あらばと思って自分のプレイ動画をiPadとかに入れて、なんとか売り込めないかと考えてはいました。

そしたらアメリカはもうDJムーブメントでとてつもない盛り上がりだったんですよ。そのときに流行ってたのが、いまのEDMの先駆けになったDavid Guettaのリミックスされた曲とかが、もういろんなDJがかけてて。

これ来るわと。

ビルドからフックまでの特徴的なパターンがすでに楽曲に織り込まれ、この時期がEDM勃興期

絶対に来ると笑 こんなに盛り上がってんだ!と思って。それが刺激になって、ロサンゼルスと行ったり来たりするようになったんですけど。

先ほど視察という言い方をしてましたが、ロスでDJをする、というか売り込むのって結構難しかったんじゃないでしょうか?英語も通訳をつけてたわけですよね。

そうですね。かなり苦労しました。本場の空気を見ると、やっぱロスでもDJやりたいなと思って営業はしてみたんですけど、これがなかなか厳しくて・・・。背丈も全然違う子どもみたいなやつから売り込まれても・・・みたいなとこあるじゃないですか。当初は全然相手にされませんでしたね。

プロモーターと出会いアメリカ8都市ツアーへ

ただ、プロモーターと出会ってから一変しました。通訳をしてくれていた子がが、いいひと紹介してもらえるかもよっていう話をもって来てくれて。そうして出会ったのがプロモーターをやっていた「アンディー」でした。

出会い大事説・・・。

本当にそうですよ。アンディーと初めて会ったときのこと、まだ覚えてるんですけど「君、何しに来たの?」とか言われましたね。

日本人ですしね。

でつらつらと「俺は日本でDJを凄い頑張っているんだけど、このシーンってどれぐらいの可能性があるのか未来を見に来たんだ。アメリカなら何か感じることができるんじゃないのか」って伝えたら。「お前すごいクールじゃん」みたいなこと言われて。

実はアンディー自体が日本人びいきっていうこともあったんですよ。で、とんとん拍子に「俺がプロモートしてあげるよ」ってなって、それで彼との関係がスタートしましたね。いろんなところでDJをさせてもらえたし、アメリカ8都市ぐらいツアーで回りました。メキシコでもDJしましたよ。

メキシコまで!規模感がやっぱりアメリカだと凄いですね。

そうそう。そうやってDJとして彼とツアーしながら「これはもう世界の各地がDJ的な感じになっていくんだな」って思ったんですよ。バンドってやっぱりお金がすごいかかるし、興業としてはすごくリスクも大きい。DJはコストも安いですから。音楽友達のなかでもバンドマンがどんどん消えていくのも普通に見ていくなかで、自分はいまDJとしてアメリカを回っている。バンドの衰退と反比例するようにDJによるイベントがもっともっと普及していくんだろうって確信しました。そうした本場を見て、日本に帰ってきたんです。

さあどうしようといった感じですね。

と思ったら、お金をもらっていた会社が潰れちゃってたんですよね。

!!!

というわけで、DJとしてキャリアを順調に積み、アメリカ8都市でのツアーも経験した神山代表。こっからや!っと気合が入って、日本に帰ってきたら会社が潰れてた・・・という衝撃の展開。ここから何故DJスクール開設にいたったか。後半の記事へご期待ください。

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III FAITHS DJ SCHOOLは渋谷にある、DJ輩出実績国内No.1のDJスクール。さらに渋谷だけでなく、提携校が全国にあるので、東京渋谷クオリティの授業を全国で受講することができます。

DJを初めてみたいけど、機材が高そうで敷居も・・・と感じている方は、一度DJスクールに通ってみてからDJ機材の購入をしてみるのもオススメです。

 

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