ソーシャルメディアに留まらず、ウェブサービスというのは良く出来ている。昨今ますます細切れになりつつある、僕らの貴重な余暇時間は、1秒でも長く!と言わんばかりの強烈さで、テックジャイアンとにかすめ取られていると言っても過言では無いだろう。

サービス側からするとユーザーの滞在時間はそのまま収益に直結するので、当たり前の話ではある。ただ、スマホの通知が鳴るたびに渋々ポケットからスマホを取り出すのも嫌だし、たかだか1日LINEの返信をしなかっただけで、僕らは付き合いの悪い人呼ばわりされるのもどうかと思う。

さらに厄介なのがソーシャルメディアの表示アルゴリズムだ。ソーシャルメディアのフィードには、ユーザが新たな情報と出会うことができるよう、あくまで親切心で、オススメのユーザーや投稿をレコメンドしてくれる。しかしその根拠は、ユーザーが投稿を読み込んだり、リアクションしたりすることが期待されるってだけで、ユーザーの人生に有意義な議論をもたらすためじゃない。真の目的は、サービスの中毒になって、1秒でも長く使い続けさせるためってだけだ。

ソーシャルメディアのアルゴリズムは、あなたの考えを極端なものへ強化してしまう

ここ10年で進展したソーシャルメディアにはもちろん良い側面もあるわけだけど、ここ最近では非難や嫌悪、対立といったネガティブな側面ばかりがフィードを席巻しつつあるように思う。僕らは流れてくるコメントを流し読みするとき、感情的に揺さぶられることのない意見を、あえて時間をかけて読んでみたり、リアクションしたりすることは少ない。むしろ自分と同じ感情を補強してくれるものだったり、逆に真っ向から対立する意見に対してのほうが積極的にリアクションするだろう。かくして、リテラシーの無いユーザーほど、ソーシャルメディア上では意見を先鋭化させる傾向にある。全てはメディアの親切心のおかげだ。もっと活発にメディアを使って欲しいっていう、あくまで収益をゴールとしたサービスの設計思想が、ユーザー同士の対立を強化させてしまう。

1億総コメンテーター時代に生きる僕らは、だから何に対しても意見を求められながら生きていかなきゃならない。現代の芸能レポーターは人間ではなく、Twitterのアルゴリズムだ。闇営業、不倫問題、オリンピック…。欧米では発言しないということは、意見が無い、自分が無いということと同義だ。だからついつい話題をつまみ食いしてしまう。政治の話なら、なおさらヒートアップする人は多いだろうし、そこから敵と味方が生まれ、対立が生まれる。そんな地獄みたいな光景が、いまのウェブのリアルだ。独り言しか呟くことのない、僕のアカウントはさながらbotか幽霊のようにも見える。

ミュージシャンというのは、良くも悪くも影響力があるから、そういう対立構造に嵌め込まれやすい。DJ界隈の話でいうと、昨年の秋から #DJsForPalestine という政治キャンペーンも走っていて、#DJsForPalestine はパレスチナにおけるイスラエルの問題行動に抗議の意思を示すための文化的ボイコット運動なんだけど、既にアーティストやDJのなかにはフェスやヴェニューの出演辞退を表明したひとも増えている。

イスラエルは昨年、自身をユダヤ人国家だという法律を制定しているんだけど、その中で民族自決権はユダヤ人の独占的な権利であるということを明記した。ユダヤ人というのは、民族的な定義というより宗教的な定義によってなされるもので、必然的にパレスチナ人には自決権がないことになってしまう。これは問題だ。

声をあげることは重要だけど、重要なのは賛成か反対かではない

あの辺は元来揉めてるから仕方ない、と思う人もいるかもしれないけど、これはどこの国にでも起こりうることだ。世界的に日本への捕鯨反対キャンペーンが巻き起こって、海外のDJが軒並みフェスへの不参加を表明したら、みなどうリアクションするだろう?アメリカの内政干渉を非難するボイコット運動が起こったら、日本人のあなたは、夢にまで見たアメリカの舞台を辞退出来るだろうか?慰安婦問題が飛び火して、初の海外公演が中止に追い込まれる可能性だってある。そんなとき、ソーシャルメディアではファンも、アンチも固唾を飲んで次の燃料を待っている。

まあそこまでの経験は一般にはそうあり得ない話ではあるけど、アーティストにとっては一挙手一投足で次のキャリアを潰しかねないトラップにはなり得るんじゃないだろうか。

こういう議論で僕があまり好きではないのが、否応無く賛成か反対か、敵か味方か、っていう二元論的なくだらない対立だ。#DJsForPalestine も動機付けとしては素晴らしいけど、アウトプットとして世に問うたその問いかけ方は、とても稚拙だと僕は思うし、ただ単に分断を助長しているだけのようにも感じなくは無い。イェルサレムの広場で野外クラブを作って皆に踊って貰ったほうが、音楽のチカラを使った、よっぽど良い問題提起になるんじゃないかな?

特定の意見に固執するのではなく、互いを昇華させられる議論を生み出すためには、ネガティブな感情があることは認めつつ、政治的寛容さを謙虚に身につけることも重要だ。

ジャマイカのBob Marleyは、ギャング達が代理戦争を繰り広げる二大政党の党首たちを、コンサート中に和解させることに成功した。これが1978年の「One Love Peace Concert」だ。

ジャマイカと聞くと何となくノホホンとした雰囲気だけど、1970年代のジャマイカは、大麻やコカインを売り捌くギャングが利権を求めて政治家と結託。政治的に対立する人民国家党(People’s National Party)とジャマイカ労働党(Jamaica Labour Party)がギャングを傭兵のように使っていて、国内はほぼ内戦状態のような状況にあった。実際、当初平和的な無料コンサートへ参加しようとしたBob Marleyも、銃撃を受けて負傷。亡命している。

この事件は、人民国家党主催のコンサートに参加しようとしたBob Marleyによって、支持率の低下を恐れたジャマイカ労働党絡みのギャングによる犯行とも言われているのだけど、この時代の話題は「七つの殺人に関する簡潔な記録」に詳しい。ちなみにこの本は、権威ある文学賞であるブッカー賞の2015年受賞作。

国家や民族といった概念自体が政治的なアイデアではあるので、こういう話題は多分の各々の誇張されたプロパガンダを含む議論にはなってしまいがちだ。だけど、Bob Marleyのような稀な事例もあることを知ると、音楽も捨てたもんじゃないなあと思う。ソーシャルメディアのアルゴリズムによって、政治的無関心という態度を貫くことが難しくなりつつある近年、争うか?従うか?ではなくもっと新しいアクションのために連帯するDJたちのアクションに期待したい。

Reference; Resident Advisor(residentadvisor.net)

 

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